こんばんは。成相です。
五月祭について。
『11のため』ということは。
五月祭を11でやるのだとしたら、当然、
責任者、副責任者、展示を作る人書く人、準備をする人、
協力を要請する人、客の相手をする人、ま、その他
多くの助けが必要となり、当然その役割を受け持つ人には
多かれ少なかれ義務と責任が生じます。
それを例えば11だけでやるとしたら、果たしてそれは
誰のためでしょうか。当然、『11のため』です。
もしくは、『自分が楽しむため』です。
世のため人のため、というよりは、
むしろサークルの性質上、そっちです。
『11のため』『自分が楽しむため』だとしたら。
楽しみたい人が、いなければなりません。
例えば平松君は、五月祭をやって、楽しみたいとします。
では、彼以外にあと何人くらい、
11のため、自分のために楽しみたい人がいるのか。
世のため人のためでもいい。
手伝ってもいい、と言ってくれる人が何人いるのか。
目的というのは、イベントをやる上での、根本的問題です。
『楽しみたい主体者』が、何人いるかということです。
11としてやる、と決まったのなら、僕は喜んで協力します。
しかし、極端な話、平松君と僕では、明らかに無理です。
協力してくれる人が、何人いるかということです。
2人しかレスをしてこないのに、
『11として』五月祭を実行してしまって良いものでしょうか。
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成相 直樹 Naoki Nariai
東京大学理科1類2年理学部6組
東京大学理学部情報科学科進学予定
Mail : g940183@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
URL : http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~g940183/
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